北海道車中泊プラプラ日記7月6日土曜日旅21日目


現在朝5時。

 

道の駅「虫類」に隣接するナウマン公園にある親子のナウマンゾウの像。霧の中にぼんやりと見えている。

 

霧の中からぬっと現れるナウマンゾウというコンセプトで撮影してみたが写真に写したらはっきり写りすぎている。

 

何かイマイチであった。

 

朝風呂に入って道の駅「虫類」を出発。

 

隣で車中泊していたおじさんから丘の上に見晴らしのいいカフェがあると聞いたのでそこで朝ご飯を食べようと思う。

 

 

丘のくねくねした細い道を登っていく。両脇に牧草地が広がっている。

 

 

虫類の街並み。牧場や畑が一面に広がっている。

 

残念ながらカフェはまだ営業時間前であった。

 

しばしこの景色を堪能する。

 

236号線を通って大樹町へ。

 

道の駅「コスモール大樹」

 

ロケット推しの町である。

 

 

やっぱりあったガチャ。

 

宇宙航空1は以前、上野の科学博物館でまわしたことがある。

 

航空宇宙2が新たに発売されたようだ。

 

これはガチャらずにはおれぬわ。

 

 

何が出るかな、何が出るかな~?

 

ヘリコプター!って、一番要らないなーと思ってたの出ちゃったよ。

 

もう一度だ。

 

国際宇宙ステーション出ろ!

 

宇宙ステーション補給機「こうのとり」でした。

 

まあいいか。

 

道の駅「コスモール大樹」をバックにパチリ。

 

出ましたご当地ヒーロー。

 

名前は忘れた。

 

ロケットも展示してますね。

 

実際に宇宙空間まで到達したインターステラテクノロジー社のロケットの実物。

 

55線を通って美成方面へ。

 

 

サイロ萌え。すぐ写真撮ってしまう。

 

北海道でしか見られない赤いマンサード形状の屋根にサイロ。

 

これこそ福岡県民が思い描く北海道の景色である。

 

大樹町から336号線を通り、ロケットのモニュメントを見ながら左折。

 

 

再び大樹町宇宙交流センターSORAへ

 

入場料無料というのが良いよね。

 

もう一度何が何でも見たいものがあって再びやってきた。

 

 

H3、H2Bロケットの打ち上げ爆音体験というのをやっていた。

 

ちょうど上映時間だったので一番前の席でかぶりつく。

 

ロケットは打ちあがった瞬間はドーンという感じの音だがやがてバリバリという空気を切り裂くような音になる。まさに爆音。そしてドロドロという音に代わり次第に消えていく。

 

なかなかの迫力であった。

 

一度、種子島の発射場で実際の目で見てみたいものである


ここからは飛行機に興味のない方はとっとと下にスクロールしてくださいね。

 

日本の飛行機開発の歴史が一目でわかる年表。

 

何度見ても胸熱。一日中見ていたい。

 

もう一度ここに来たのはこの年表をじっくり見たかったのもあるが、ひょっとして年表のポスターかなんかが売ってるのではないかと思ったから。

 

残念ながら販売はしていないそうだが、スタッフさんによると、やはりそういった要望は多いらしく是非作成してほしい。「社長に言っときま~す」と軽く言われた。

 

 

日本の飛行機開発の黎明期から終戦まで。

 

日本でフランスから輸入した飛行機が飛んでから数年後には日本人の制作した飛行機が飛んでいる。

 

森田式、奈良原式等々。滋野式わか鳥も記載されている。

 

滋野式は第一次世界大戦に義勇兵としてフランス空軍に入隊し日本人初のエースパイロットになった滋野清武男爵が自ら設計した飛行機である。(わか鳥号の由来は亡き和香子夫人から)

 

残念ながら商売としては上手く行かなかったようですが。

 


日本の戦後の航空機開発の歩みも載っている。

戦後の財閥解体で日本はGHQから飛行機の開発を禁止されていた。

 

その後、戦後初の国産機YS11を世に送り出しましたがなかなか海外では売れず。

 

ボーイングの下請けをしながら着実に技術を蓄えていった時期ですね。

 

三菱MRJスペースジェット。

 

1兆円近い開発費を投じて結局ぽしゃってしまった。何やってんだよ三菱!

 

経産省が音頭を取って性懲りもなくジェット機開発を進めるらしいですが、どうなる事やら。

 

先端技術実証機「心神」も載ってますね。この成果が日英伊の新戦闘機開発に役に立てばよいですが。

 

日本の宇宙開発の歴史も。

 

北海道スペースポート構想。

 

 

ひょっとしたら将来、大樹町が日本の宇宙への玄関口になるのかも。

 

ここからは236号線を通り山越えして浦河の町へ入る。

 

馬の町浦河。

 

236号線沿いには牧場が広がっている。

 

お母さんと仔馬。

 

仔馬が近づいてきた。仔馬は好奇心いっぱい。つぶらな瞳が可愛い。

 

ダメだよ。変なおじさんに近づいちゃ。

 

この仔もサラブレッドとしていつか競馬場で走るのだろうか。

 

馬横断注意に熊出没注意。なかなか厄介なところである。

 

道の駅「みついし」

 

日高方面へ。この辺から天気が崩れてきた。

 

道の駅「サラブレッドロード新冠」

 

日高地方と言えばサラブレッド。どーんとサラブレッド推し。

 

 

これウマ娘のオグリキャップキャラだと思うのでだが、ウマ娘だけは何が面白いのかよう分からん。

 

以前、ハイセイコーの銅像が建立されたという新聞記事を読んだことがあったのですが、ここだったのか。

 

懐かしいですね。

 

一時代を築いた馬たちの功績をたたえるレリーフが並んでる。

 

トウカイテイオー、父は皇帝シンボリルドルフ。1992年の天皇賞でのメジロマックイーンとの「世紀の対決」は注目を集めた。

 

タマモクロス、葦毛の綺麗な馬でした。天皇賞春秋連覇。

 

ナリタブライアン、中央競馬史上5頭目のクラッシック三冠馬。日本競馬史上最強と言われる競走馬の一頭。

 

ビワハヤヒデ、ナリタブライアンの半兄。実現しませんでしたが兄弟対決見たかったですね。

 

カブラヤオー、ハイペースなレース運びは「狂気の逃げ馬」と言われた。

 

スピードシンボリ、8歳でや八大競争を制するなど長く活躍した。日本馬として初めてフランスの凱旋門賞にも出走した。

 

他にも有名馬のレリーフがたくさん並んでいます。

 

 


私も以前は競馬が大好きでよくテレビの前で絶叫していた。

 

好きだった馬は「ライスシャワー」。目のくりくりした可愛らしい馬だった。

 

小柄な体躯ながら1992年の菊花賞、1993年、1995年の天皇賞を制覇。菊花賞ではミホノブルボンのクラッシック三冠制覇を、1993年春の天皇賞ではメジロマックイーンの同競争三連覇をレコードタイムで阻止。「黒い刺客」「レコードブレーカー」と呼ばれた。

 

私も1993年と1995年の天皇賞を勝たせてもらいました。

 

 

しかしその後の宝塚記念競走中に骨折。安楽死処分となる。

 

中洲の飲み屋で飲んでいた時、テレビの報道でそれを知り号泣。

 

一緒に飲んでいた高校時代の友人にその事をいまだにイジラれるという黒歴史を作ってしまった。

 

 

 

あれからもう30年近くが経ったのか。もう馬券を買うことも競馬場に行くことも無くなったが、懐かしいですね。ただただ懐かしい。

 

日高の牧場

道の駅「むかわ四季の館」で車中泊。

 


本日の走行距離216km