今日は一日仕事も休みなのでホテルのベッドに寝っ転がって司馬遼太郎の「街道をゆく6沖縄・先島への道」
を読んでいた。
その中の那覇・糸満編で「糸満にて」という一文があった。
<那覇発・石垣島ゆきの飛行機が、天候のかげんで二時間程おくれるという。
「糸満でもゆきましょうか」と、須田画伯をさそった。地図を見ると糸満の漁港へは空港からまっすぐ南
へ、片道八キロほどである。国道331号線が走っている。空港ビルの前で客を待っているタクシーに聞くと
二十分で往復できますとのことだった。>
<車がとまると、開けたドアから潮風が吹き込んできて、そこが入江だった。護岸工事がしっかりしている
のと、濃緑の海水がたたえられているために、入り江というより、プールのように感じられる。埠頭にも
港で休止中の船にも人影がない。>
<須田さんはコウモリ傘の柄を頸でおさえこみ、盛んにスケッチしていた。糸満という、日本でもっとも個
性的な港に来ながら、港や船よりも陸の家屋群に気を取られているようだった。例の赤レンガ色の瓦を太い
漆喰でとめた屋根が、小路をのぞくとずっとむこうまでならんでいる。その赤い琉球屋根が、沖縄本島のど
の村や町のそれよりも、ここでは海の青さのせいか、ずっと美しく見える>
なんと那覇からわずか車で10分の所にこんな美しい場所があるなんて、知らなかった。
糸満という地名はもちろん知っていましたが今までは南部にドライブに行く時にただ通りすぎるだけの場所
でした。
糸満の漁港に行ってみようと思う。
というわけで那覇から車で15分程でしょうか、糸満漁港へやって来たのですが、
キレイに整備された漁港で、司馬遼太郎の本に出てくる景色とはだいぶ違うような。
立派なリゾートホテルもありますね。
漁港のそばの原っぱに廃船が放置されているのですが、
なんかオブジェみたいでカッコ良いではないか。
司馬遼太郎がみた風景を求めてうろうろしておりましたら、昔ながらの赤瓦の琉球古民家を発見した。
こちらは糸満海のふるさと公園。
昔の糸満の漁村にあった屋敷を移築展示している施設である。
こんな風景を司馬遼太郎は見たのかもしれない。
司馬遼太郎がこの町を訪れたのは1974年4月。今から47年前。
沖縄が本土復帰されて間もない頃ですから、司馬遼太郎が見た当時の風景はもはや無くなってしまった
のであろう。
公園内をうろついておりましたら、こんな施設を発見した。
「海のふるさと公園展示館。糸満海人工房・資料館」
こちらの施設は沖縄県が世界に誇る糸満漁業の伝統文化を次世代に継承するとこを目的とした資料館です。
糸満海人が使用していた漁具やサバ二船などが展示されている。
ホームページ糸満市、糸満海人工房・資料館
入場料300円也を払って入館しました。
館内に飾ってあった風景画。なんかこんなイメージですよね。
漁網かな?
漁で使っていた漁具だとかが展示されている。
サメ怖すぎる。漁をしていてこんなのに出くわしたら嫌である。
糸満では鮫を指す「サバ」と船を意味する「ン二」が合わさって「サバ二」と呼ばれるようになったと
伝承される。
そういえばなんか船体が鮫っぽい。
糸満漁港の当時の賑わいを感じることが出来ます。
米軍払い下げの毛布で作った外套。
ご案内頂いたスタッフの方に前から気になっていたことを聞いてみた。
「街道をゆく」の文中にあるのですが、<昔の糸満の漁師は興がわくとサバ二にスルメと米を放り込み、
黒潮に乗ってはるばる熊野灘の沖合まで行った>とか。
そのことをスタッフの方に伺うと「サバ二は基本、島から島伝いの近距離用の船だからそれはどうかな?
でも糸満の漁師で漁に出て漂流して千葉県沖で無事、発見救助された奴がいるからね、まあないことも無いかも、
とにかくサバ二ってのは丈夫にできているからね。」との事でした。
この船だったら黒潮を渡って行けそうな気がする。
最後に昔ながらの糸満の赤瓦の風景が残っている場所はないでしょうか、お聞きすると
「そうねぇ~、昔ながらの風景っていうと何処だろう? サンテイモ―から眺めてみたら」
と教えてくれました。
「さんていもー」???
ここで私のいつもの悪い癖の知ったかぶりが出てしまいまして、「ああ、サンテイモ―ですね」
と答えたのですが、サンテイモーってなんだろ?
場所?建物?さんていも?さんて芋、?いも?
というわけで次回「糸満にて」サンテイモ―編をお楽しみに。
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